Gouvernement Impérial du Japon 1910【1910年発行フラン建て日本国債】★無理な値下げでなければ値段交渉対応いたします。 日本は日露戦争後に発行したフラン建て国債(1910年)の償還を巡っての交渉を戦後の昭和31(1956)年に入るまで続けており、最終的に償還が完了したのが1962年であったとされています。~歴史背景~1904年2月に開戦した日露戦争において日本とロシアは、遼東半島の南端に位置する旅順と大連の租借権、満州・朝鮮における自国の権益拡大をめぐって対立していました。また、日本はロシアの朝鮮半島への進出を阻止するために戦争を始めました。 この時期の日本はまだ産業化が進んでおらず、軍艦や計測機器などの軍需品は輸入に頼っていました。そのため、日本政府は戦費調達のために、日本銀行副総裁の高橋是清を任命しました。 高橋はロンドンでの国債発行を試みました。当時の日本とロシアの国力の差は明らかであり、日本はヨーロッパにおいて非常に弱い立場でした。しかし、高橋は個人的な人間関係を活かして融資の道を見つけ、1904年から1907年までの間に6回の外債発行に成功しました。これにより、総額1億3,000万ポンド(約13億円弱)の外貨公債を発行しました。このうち、最初の4回は実質的な戦費調達資金であり、残りの2回はより有利な条件での借り換え発行でした。 実際に、1905年から1910年にかけて、日本はロンドンの外債市場で最大規模の資金調達を行いました。これは世界の投資家が日本の近代化を評価し、将来性を認めた結果でした。 日本は19世紀末のグローバル化の時代に登場した新興国として世界市場で恩恵を受け、経済成長を享受し、国民の生活水準を飛躍的に向上させることができました。このような外債市場の活用や国際投資家の存在がなければ、日本の経済成長や戦費調達は実現しなかったでしょう。
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